やがて消えゆくこの姿
崖を見つめるたくさんの人。これは,遺跡発掘調査現地観察会の様子です。
ここは,江戸末期から明治初期のお墓(近世墓というそうです)が集まっていた古墓群です。で,わたしの関心はというと,お墓ではなくて,専らその素材となっている石の方。ここは,琉球石灰岩の中でも最も新しいマチナト(牧港)石灰岩の模式産地なのですね。
この地層が堆積したのは,今から13~12万年前のことだそうです。港川人より,ずっとずっと前ですね。この石灰岩の特徴は,別名「粟石」とも呼ばれるように,粗い粒子がくっついた「粟おこし」のようなつくり。これは,ほぼ有孔虫のみが堆積したためだそうで,軽くて加工しやすいことから,様々な用途で活用されてきたのだとか。お墓,もその一つ,ということですね。
さらに,この場所では,強い流れのもとで堆積が起きたために,斜交層理(クロスラミナ)がハッキリと観察できます。この写真は,交差法で立体視するように作ってあります(練習法はこちら)。教科書的な観察の適地,だそうです。
で,こうして観察会が開かれたのは,調査が終わって,全て壊してしまうから,なんですね。そもそも調査が行なわれたのも,県道建設に伴なう記録保存のため。壊すのが前提の発掘調査だったわけです。現地では,何とか残せないか,という声も上がっていたのですが,こうして記録,公開されるだけでも,うらやましいな,と思います。生きものたちは,気付いたときにはもういない,というケースが普通ですから。
2009/02/21 浦添市牧港地先,崎原(サチバル)古墓群
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